15歳より声楽の勉強を始め、20歳で北イタリアのニコリーニ音楽院へ留学。学生時代からオペラの舞台に立ち始め、これまで30以上の役を務めてきたソプラノ歌手の伊藤佐智馨(さちか)先生。イタリア、スペイン、ドイツなどヨーロッパを拠点に、オペラはもちろん、現代音楽や、室内音楽の分野でも活躍。近年は、本拠地であるイタリア・シチリア島の音楽学校にて現地の生徒に教えるなど、講師としても精力的に活動しています。かつて、ソプラノ世界のプレッシャーを感じながら、必死に身につけたテクニックのこと、歌うことで自分自身を理解することの幸せ、頭より体で学ぶレッスンスタイルの魅力など、さまざまなお話を聞きました。
-まずは、伊藤先生が声楽を始めるようになったきっかけを教えてください。
子供の頃から音楽が大好きでピアノを習っていたんですけど、歌い始めたのは中学校で合唱部に入ってから。歌うことが大好きだったので毎日が楽しかったですね。15歳になって高校進学について考えていたとき、指揮者をしていた声楽科の先生から「声楽の道は、興味ある?」と声をかけられて。私の歌に対する情熱を感じとってくださったみたいで、涙が出るほど嬉しかった。「あぁ、私は音楽家になりたかったんだ!」って、胸の奥にあった気持ちに初めて気づけた瞬間でした。それからピアノもしっかり習い直して、本格的に声楽を習うようになり、西洋音楽やオペラに憧れを持つようになりました。
-当時習っていたのは、イタリアのオペラがメインですか?
そうですね。イタリア語の勉強もしながら、「早くイタリアに行って現地の空気を吸いたい!」って。考えていたのはそればっかり(笑)。当時就いていたメゾソプラノの青木美稚子氏も「イタリアに行きなさい」と背中を押してくれて。イタリアに留学することだけが目標になっていましたね。19歳のときには、いてもたってもいられなくなり、バイト代をつぎこんで初めてローマに行って。2週間ほど語学学校に通ったんですけど、そこですっかり魅了され、イタリアに行く決意をさらに固めました。その後、20歳のときに留学したまま、今年でイタリア移住17年目になります。
-イタリアへ渡った当初、「ソプラノは大変な世界だ 」と言われたことや、小柄体形でプレッシャーを感じていたとか。
ソプラノは、メゾソプラノやアルトに比べると歌手の人数が多いので、オーディションでもたくさん集まるし、競争率が高いんです。それから、現地の歌手の皆さんは体も声も大きいので、隣で歌っていると、どうしても圧倒されてしまうんですよね。でも、声が大きければいいというわけではなく、大事なのは、いかに声を飛ばすか。ちゃんと唄のテクニックがあればしっかり声が飛ぶんだってことを学んで、テクニックを習得するためにはどうしたらいいか、必死に探求しました。学生時代から少しずつ小さな劇場で歌えるようになって経験を積んでいたものの、30歳を前にして、もっとソプラノとしてのクオリティをあげたい、大きな劇場で歌いたい、と。それには、自分の苦手な部分、足りない部分と向き合う必要がありました。どうしても乗り越えられない部分があったんです。あのときは、出口が見つからず本当に苦しかった。でもここを乗り越えないとプロとして雇ってもらえないなって。
-その壁は、どうやって乗り越えたのですか?
きちんと教えてくれる先生を探しまくって、その結果、素晴らしい先生に出会えたんです。2014年、スペインに住んでいたときのことでした。エスペランサ・メルギーノという先生なんですが、彼女に習ったとたん苦手だったことがぱっとできるようになったんです。閉まっていたものが全部開いて出てきたような感覚。エスペランサに出会えてなかったら、歌い続けていなかったと思う。先生が人生を変えてくれました。
-それほど特別な何かがあったんですね。
先生は、誰にでも効く薬はないと言っていて。生徒一人ひとり、辿り着きたいテクニックがあって、それに合ったエクササイズがある、と。要は、それぞれに与える薬がわかる人だったんだと思います。声は、楽器のように見えるものではないし、手で触ることもできないし、それをなんとか言葉で伝えながら教えるって本当に難しいこと。正しい先生につくことがいかに大事なことか、身を持って学びました。
-それ以降、プロとしての活動が始まったんですか?
本格的なキャリアをスタートさせたのは、まさにその時期からですね。自分でもクオリティがあがったという手ごたえがあって自信が持てるようになったし、大きなプロダクションで歌えるようになり、仕事のレベルがぐんとあがりました。
-講師としての活動は、どのようなきっかけで始めたのですか?
2016年ころ、スペインで舞台が終わった後に、お客様から「歌を勉強したい」と声をかけられて。それまで人に教えたことはなかったんですが、せっかくなのでよかったら、と。いざ体験レッスンをやってみたら、とても気に入ってくださって。合唱をやっている方だったんですけど、その方の声がどんどんよくなるのを聞いて、一緒に歌っている方たちも来てくださるようになって。皆さんが喜んでくださるのと同時に、私も教えるのって楽しい!って嬉しくなりました。人の声を聞いて直そうと思ったら、自分の声にも返ってくるので、すごく勉強にもなりますし。それからイタリアを拠点にヨーロッパ各地の舞台を回りながら、対面とオンラインでレッスンを続けてきました。
-では、具体的なレッスンの内容や進め方を教えてください。
イタリア在住なので、今のサマータイムシーズン(4月から10月)は、日本時間の16時以降でレッスンを受け付けています。言語は、日本語、イタリア語、スペイン語、三ヶ国語のうちご希望のもので対応します。進め方としては、まず生徒さんがどれだけ歌えるのかレベルを見させて頂くことから始め、高音か低音か、歌いやすい音域を探り、その人の声や好みに合ったレパートリーを選んでいきます。姿勢、呼吸法、発声は、大事な基本なので、レベルに関係なく、どなたにもしっかりお伝えしていますね。声帯の正しい鳴らせ方も重要なポイントです。
– 「正しいリラックス法」、「音程と機敏性」もポイントとか。
リラックスという言葉は、受け止め方がいろいろあるので厄介なんですけど、私がお伝えしたい「正しいリラックス法」というのは、テンションを使うべき筋肉と、柔らかくすべき筋肉を使い分けるということ。ベルカント唱法は、柔軟性を失わずに力を入れることが大事です。スポーツジムで筋肉をつけることも必要だけど、つけすぎて固くなってしまうと柔軟性がなくなる。同時にストレッチして筋肉を柔らかくしておかないと、本当のリラックスとはいえないんですよね。歌手は、体自体が楽器。筋肉が硬くなると響かなくなってしまうんです。音程についても、体の適度な柔らかさが大事。緊張すると体がカチコチになって声が上がりますよね。そうすると音程が高くなってしまうし、逆にリラックスしすぎると音程が下がる。伴奏の和音の中に自分の声が入っているかどうかを聞くことが大切です。機敏性については、曲によって速いフレーズもあるので、それを集中して歌えるように一緒に勉強していきます。
-本サイトの挨拶文にて、「伝統的なベルカント唱法の素晴らしさ」について伊藤先生が語っていたことが印象的でした。「自分にしかない声を見つけ出せること、それを通じて自分という人間の理解が深まること」。これについて、もう少し詳しく教えてください。
声は十人十色。これまで、いろいろな声を聞いて、その人の性格や気持ち、家庭環境が出ているなと感じることがありました。同時に私自身も、それを人に気づかされた体験があります。大学院のレッスンのときでした。朝の発声練習をしていたら、尊敬するラウラ・グロッピ先生が「何かあった? 声がいつもと違う」と。実は前日に祖母が亡くなって、めちゃくちゃ泣いたんです。自分では、いつもどおりの声が出ていたつもりだったけど、先生は「悲しそうに聞こえる」と。なんでもわかっちゃうんだな、声は嘘がつけないんだなって。それが、自分にしか出せない声という証だと思うし、声の持つ力に感激しました。イタリアでは「歌うことは裸になることと同じだ」と言われます。すべてをさらけ出すということですね。そもそも歌いたい人というのは、自分を解放して知ってもらいたい願望があるのだと思います。私は、そういう人たちが自信を持てる道へ導きたい。生徒さんによって、歌がうまくなりたいとか、リサイタルを開きたいとか、目標が違うと思いますが、最終的にはその人の個性が最大限に出るような状態にしてあげたいなと。それが、講師として目指すところですね。
-曲を深く理解することや、歌詞の解釈についてもアドバイス頂けるとか。
ブルースやジャズは、耳で覚えて自分でアレンジする音楽ですが、クラシックは楽譜がすべて。曲が書かれた時代や作曲家によって、歌い方やスタイルが変わるんです。なので、その作曲家は、楽譜を通して何を伝えたかったのか、歌手に何をしてほしかったのか。それを一緒に考えるお手伝いをします。200~300年前に書かれたオペラとなると、今は使わない言葉や言い回しが出てくる。それを紐解きつつ、当時の人たちは、こんな姿勢でこんな衣装を着て、こんな喋り方をしていたんだろうなと想像しながら歌詞を読むと、見えてくることがたくさんあるんです。こう書いてあるけど本当はこんな意味があるんだよとか、実際は遅く歌った方がいいよとか、そういうことを1人で勉強するのは難しいと思うので、一緒に学んでいけたらいいなと思っています。
-伊藤先生のレッスンの強みはどんなところにあると思われますか?
テクニックを説明しないところでしょうか。説明しすぎると、考えすぎて歌えなくなっちゃう人がいるので。頭じゃなくて体を動かしながら、楽しく学んでいくスタイルですね。動物の中で一番声が飛ぶのは犬なんです。それにはちゃんと理由があるんですけど、その理由を考える前に、まず吠え方の練習をしてみましょう!と(笑)。ほかにも、くしゃみをする声のイメージとか、日常生活の中に自然とあるものを使いながら勉強していきます。その後、ちゃんとテクニックがついてきたら、初めてその理論を説明する。「これができるようになったのは、ここにある筋肉がちゃんと伸ばせているからだよ」とか。犬の吠え方なんて、やっていると思わず笑っちゃうじゃないですか(笑)。声楽は難しいことを習わなきゃいけないみたいなイメージは嫌なんです。もっと自然なこと。歌は誰にでもできること。自分にしか持っていない声を探しあてるのと同じで、もともとの自分の体の不思議を見つけ出すようなワクワクするレッスンを心がけています。あとは、著名な歌手の方々と共演してきた経験があるので、そこで見て聞いたことをお伝えできるのは強みかなと思います。たとえば、舞台で肩を抱かれるデュエットのシーンがあって、私は緊張して体が固くなっているんですけど、皆さんはとっても柔らかいんです。「これで今、本当に歌ってるの?」ってくらい柔らかい(笑)。さっきお話した「正しいリラックス法」に通じるエピソードです。そういう同じ舞台に立ったからこその体験談をシェアすると、喜んで頂ける生徒さんが多いですね。
-オンラインレッスンのメリットは、どんなところにあると思いますか?
歌手は自分の姿を見ることが大事なので、対面レッスンでは、よく鏡で自分の姿を見ながら歌って頂きます。でも自分を見ていると、どうしても先生の姿が見えなくなる。オンラインだと、自分も先生も並んで映るので両方見ながら歌えるというのはひとつのメリットだと思います。それから、声楽をやる人はヨーロッパに興味を持っている人が多いので、オンラインでイタリアの生活を見たり聞けたりするのは嬉しいという生徒さんもいらっしゃいますね。
-では最後に、これから声楽をやってみたいと考えている人へ向けたメッセージをお願いします。
人は、生まれて死ぬまで「自分は誰なのか」を探していると思うんです。私は歌を通じてそれをやってきました。まだまだ探し続けている途中だけど、いろんな自分を見つけるたび幸せを感じています。ときどき泣き出す人がいるんですよ。うまく歌えないことがあって、それは心理的な問題とつながっていて、でも歌の勉強を通じてその壁を超えられたとき、心が晴れ晴れして涙を流す。そういう場面を何度も目の前で見てきたし、自分自身もそういう体験をしてきました。恥ずかしがり屋で小さな声でしか歌えなかった人が、あるときふと周りが驚くほど大きな声が出せるようになったり。実は、シャイな自分の裏側に情熱的な自分がいたことに気づけたんだと思います。歌うことは自分を理解すること、自分を知ってもらうこと。楽しいこと、幸せなこと。この喜びを一緒に感じてもらえたら嬉しいですね。「私に歌えるかな?」と迷っている方、誰にでもできます。試さないなんてもったいない。ちゃんとコーチしますので、まずは飛び込んでみてください。
取材・文/岡部徳枝 text by Norie Okabe
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